日蝕を詠む

正に932年ぶりとかいう天体ショー、金環日蝕に日本中が湧き上がった。曇り空で見えるかどうか危ぶまれたが何とか観測できて本当に良かった。大感激である。
歌心を働かせて早速これに挑む。
“太陽が指輪に見える天体ショー 雲間に映える御宿の浜”  24.5.21
“雲厚くあきらめかけたその時に 雲間に浮かぶ黄金の指輪” 24.5.21
私は川柳の方を常々やっているので5ー7ー5でも試みてみようと思った。
“肉眼で金環日蝕まのあたり”
そしてこれを次回のための“川柳投稿”のひとつに滑り込ませておいた。
編集子様から直ぐに、これに対して「だから何?」と厳しい批評を戴いてしまった。
事実を述べただけで中味がないということらしい。
しかし、当事者とそこに居合わせた人達だけに分かる感動のドラマがその中にあるのだ。前々から、日蝕を肉眼で見てはいけない、適正なメガネを用意して見なさいと、くどいほど言われていた。当日、私は特に何も用意しないでその場に望んだ。丁度、厚い雲の切れ間から薄くベールのかかったような雲に浮き出るように綺麗な指輪の太陽が短時間ではあったが見えたのだ。すばらしい光景であった。
お陰で大して目に負担もかけず、しっかりと世紀の天体ショーを拝むことが出来た。
これが“肉眼で金環日蝕まのあたり”なのだが、5ー7ー5では難しい。
“雲間から金環日蝕まのあたり”にした方がいいのかな、とかいろいろ後で“推敲”している。まあ、この感動を忘れないように記録しておく一手段にはなっていると思っている。         (了)