年・歳とともに

昨日(丁度、防災の日)は危なかった。ボックス型の軽自動車の後部座席に、道路端の縁石を飛んで乗り込んだ。ガツーンと大きな音がして車がすこし浮き上がったようだった。何と頭のてっぺん辺りを屋根の端にぶつけてしまったのである。
同乗中の同僚も皆、「大丈夫?」とすごく心配してくれていたが、「帽子は被っているし、それに頭の毛もふさふさしてるし大丈夫、心配ない。」と私。頭の薄い人が横からチャチャをいれた。「毛はない方がケガしないんだよ。」 そう言えばと「ドンパン節」を思い出したがどう見てもあれは間違い!緩衝材として毛はあったほうがいいに決まっていると思った。
「救急車を呼んでも訓練で忙しく、今どんな状況ですか?横に寝かせて置いたらどうですか。となかなか来てくれないよ。」とまた別の人が言う。大事に至らなくて良かった。一夜明けた今でも打った所をさわると痛いが他に何ともなくホッとしている。
以後、気をつけよう。同じことは二度としないが、いつ何時、災難に会うか分からないものだとつくづく思った。
閑話休題、もうひとついこう。
“胸張って観せる芸なく古希迎え”
昔の歌に「今年60のおじいさん…」とあって、よく笑っていたものだ。いまではさしずめ、60を80にでもすれば、成る程と納得できる。
古希など全然、長寿おめでとう、という歳ではない。私自身、まだまだ若いつもりでいろいろと手を出している。あと10年もすれば、つまり傘寿を迎える頃になれば我が人生の集大成等を考えてもいい歳格好になるのかなと今は思っている。
芸の道は遠い。特に精進の足りない者にとっては先が全く見えてこない。即反省、である。  (了)