深紅の夕陽

「心に残るとっておきの話」(第6集)から、深紅の夕陽(斉藤英夫氏)を一部抜粋する。
第2次世界大戦中のドイツ・アウシュビッツ強制収容所における記録として数多くの本があるが「夜と霧」の著者、フランクル氏は精神医学の権威ある医学博士で、自らの実体験から次のように考察している。
生き延びることができた人は、他の人よりも相当、精神的にも体力的にも強かったのではないかと、我々はすぐ考えてしまうのだが、それを博士は否定する。
昼の労働と飢えと寒さからくる極度の疲労の中で、真っ暗な獄舎に小さく聞こえてくる音楽の美しさに感動する人々、又一人の仲間が小さな獄舎の外に、夕映えの落陽を見つけ、皆にも見るように促した時、その窓辺に、やっとの思いで何人かが這ってきて、遥かな大地に沈みゆく深紅の夕陽を、獄舎に繋がれる我が身も忘れて見入った人々だけが、生還出来た人々であると博士は証言している。
ガス室に送られた者と、生き延びることが出来た者の差は、極限状態の中にあっても、美しい物事に感動できる心を持っているか否かであったと言うのだ。
博士は、身じろぎもしない、死んだように横たわっている一人一人に話しかける。恋人や家族一人一人の面影や、戦争の始まる以前の平和な日々を思い起こさせ、「ここで頑張り抜けば、生きて還れるのだ。そして、あの幸福な日々を取り戻す事ができるのだ」と激励し続けたのであった。
それは、人間が「感動」というものを忘れないための、人類の最後に残された「手段」でもあるのだ!と言えば過言であろうか。
芸術や文化の大きな意義は、人間の心を浄化してゆく「力」にあると思う。その力は、人々の生命に新鮮な生命力を沸きたたせずにはおかない。
戦争がなく、一見、平和に見える日々にあっても、現実に生きる人々には様々な苦悩がまとわりついているものだ。病気とか人間関係の煩わしさや、仕事におけるストレス等々・・・。
美しい音楽や絵画や文学に接し、「美」なるものに「感動」するという、本来の人間らしい原点に立ち戻れる時、人々は、一切の煩悩を逃避せずに、真正面から乗り越えることができるに違いない。      (了)