分相応

「分をわきまえる。」というか「分相応」に自らを律して行動していく心構えの必要性を近頃、痛感している。
「でしゃばらず」に「へりくだれ」と言っているわけではない。逆に、その立場に立つ人が妙に控えてしまい、世の中がうまくいっていない場合が多いと思うのだ。
“武士の一分”を通すように人それぞれの持分、与えられた務めを心得て、十分にそれをこなしていかなければならない。「らしさ」であり、「期待される人間像」でもあり、人それぞれが自分の持ち場を精一杯務めていくことが、この社会、世の中がうまく回っていく鍵となる。
また「適材適所」に越したことはないが、少々不満でも自分の務めはしっかりとこなしながらなおかつ、次のステップへの飛躍を狙う元気さが欲しい。
自分の今いる地で努力もしないで高望みばかりしていては、物事が成就するはずがない。上には上がいる。下にも下がいる。自分の存在価値を常に模索しながら次へのステップへと段階的に歩を進めていくことが足の地に着いた、満願成就への近道になると思う。
私も自分を買いかぶらないよう冷静な判断の元、もうすこし自分を奮い立たせて、やれることはないか、やり残していることはないかと考えている。これからの“生き甲斐”につながるものである。      (了)