思い出

私のサラリーマン生活も残すところあとわずか数ヶ月となった。
思えば、22歳で奈良の学校を卒業後、39年の11月、最初の赴任地木更津へローカル線を乗り継いで行った時から45年間、第2、第3の人生まで休むことなく、汗水たらして(?)働いてきた。
振り返ってみて、私の信条は何だったか考えてみるに“ネバー・ギブアップ”(決してあきらめない)、“ねばり強さ”で乗り切ってきたように思う。
苦しくても辛くとも明日を夢見て、決して投げ出さないでコツコツと目の前の難題(仕事)を片付けていくことで、進む道を切り開いてきた。
木更津時代から良く残業をして、妻から「子供の手を引いて途中まで迎えに行っても、まわりのパパ達は次々と帰ってくるのに私たちは会えず、最後まで残ってしまい、あきらめてすごすごと帰ってきたことが何度あったことか」と今でもグチられている。「忙しかったのだからしょうがないだろう」と答えてはいるが、仕事優先で家庭のことは後回し、土日出勤も辞さない構えであった。
九州の芦屋へ単身赴任中、楽しみのゴールデン・ウィークを休み明けの講義資料作りのために帰省できず、歯を喰いしばって頑張ったことは今でも忘れられない。
それほどまでして報われなかったのは要領が悪いから、と又々文句を言われるが、性分でもあるのだから仕方がない。これまで仕事に対して手を抜いたことはない。よく今まで大病もせずに元気にやってこれたものと感謝している。これを最高の幸せという。
私の特色といえば、尺八に絵画、我流の川柳投稿、そしてブログ(つれづれ日記)等でこれからの活躍の場ともなるが、日々の思い出等を綴った“咀嚼”シリーズも全5巻まで揃えてある。後々に残す物として悔いはない。余生を糟糠の妻と二人でつましくとも心豊かに過ごしていこうと思っている。       (了)