桜を愛でる

本年も景色を華やかに彩り、人々の目を大いに楽しませたと思ったら、まもなく散ってしまい、季節の移ろい感を心の中にしっかりと刷り込んで桜前線が駆け足で過ぎ去っていった。この春はことのほか、桜の花に愛着を覚えた。というのも、この4月17日に息子夫婦のところに待望の二世が誕生し、“桜太郎”(おうたろう)と名付けられた。私達夫婦の初孫である。息子が「名前の付け方」をあれこれと調べ、この名前はどう、と聞かれた時、私達は即座に「いい名前だね!」と答えたものだ。丁度今読んでいる、藤原正彦著「国家の品格」にもしっかり取り上げられている。
「美意識の基本」の項目で、『新渡戸稲造は日本人の美意識にも触れています。「武士道の象徴は桜の花だ」と新渡戸は言っています。そして桜と、西洋人の好きな薔薇の花を対比して、こう言っています。「桜はその美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を我々は分かつことを得ない」そして、本居宣長の有名な歌、
“敷島の大和心を人問はば、朝日に匂う山桜花”
を引いています。
薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼(とうしょ)を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」この清澄爽快の感覚が大和心の本質であると、新渡戸は説いています。』                 (了)