花畑

sadoji2005-12-21

水上勉著の「花畑」を読んだ。
長野県内に別荘を建て、そこでのんびりと余生を送ろうとしている70歳過ぎの先生(本人のことだから、当然小説家と思われるが、文中では何も触れられていない。ただ、回りから「先生」呼ばれている)が、普請にかかわっている大工や左官、建具屋等の人達とのあれこれとした付き合い、そして丁度、バブルの好景気を反映して、この地方へも大勢、出稼ぎに来ているタイ娘達が色濃く花を添え、シルバー世代の生き様の一面を興味深く垣間見せてくれた。
庭に井戸を掘り、水路を造ってまわりを花畑にしていた。
当人は心筋梗塞で一度死にかけている。病気以後、三分の二が壊死した心臓を抱いて、海抜1200米の軽井沢高原の霧にまかれる土地柄は体に良くないと、約20年慣れ親しんだ山荘を人にゆずり、今度は霧の少ない海抜700米しかない北御牧の村に建て始めたのが、今度の普請半ばの家である。ここへ6月半ばに入った。半病人だけに、話全体がゆっくりしたペースで展開し、例の同じく70歳代の大工さん達の世間話や武勇伝をちょっと羨ましいような気持ちで、もっぱらの聞き役である。
この地方に300人からいたタイ娘達は、ある日突然、姿を消した。彼女達は皆、3か月のビザはとっくに切れており、10年振りに行われた警察の一斉手入れで不法滞在と風俗営業法違反で捕まってしまったのである。そして、この地方もいっぺんに灯が消えたようにさびれてしまった。
10月末、花畑の花もほとんど枯れ、仕事と遊びに忙しい大工さんに約束の仕事をすっぽかされて、玄関を土台だけ造ったままにしている家を閉じ、主治医と奥さんの忠告に従って、風の強い日に山を下りた、でこの本は終わっている。
「老後」、皆避けて通れない人生の有終の美をいかに飾るべきか、考えさせられる。まあ、無理をせず、自然体で生きるしかないのであろう。        (了)

花畑

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