「三木武夫」のこと

sadoji2005-11-10

三木武夫夫人、三木睦子著「心に残る人びと」を読んだ。
三木武夫は1937年、30歳の最年少議員として国会に登場し、戦後も腐臭に満ちた政界の浄化をめざし続けた。「クリーン三木」として知られ、首相も務めた。あの謹厳実直なお顔を思い出しながら、かれの素顔、人となりをこの本から伺うことが出来た。もちろん、他の人びとも数多く紹介されている。
「夫は買い物好きであった。私は三木と暮らした50年近く、着る物はほとんど自分で買うことはなかった。…不思議に彼の買ってくるものは、寸法が私にぴったりであった。一度も私に用寸を問うたことはなかった。しかし、長年の間、何を贈られてもそれは1センチも直すことはなかった。…私のものだけではなく、外国旅行に出るとき、お餞別など戴いた方の奥様にお土産にするハンドバックなど、お一人ひとりにいかにもふさわしいものを選んで買ってきた。…物の良否というか、家具などは本当に質の良いものを選んでいる。……嬉しいことに、仕事の帰りに紀ノ国屋の前を通ると、車を止めさせて、お惣菜を買ってくれる。私は籠を押して、ついて歩く。Tボンステーキを食べようかなどと、肉を籠の中に放り込む。サニーレタスはからだに良い、それも入れる。私はレジでお金を払うだけ。」
「三木の一番好きなのは本屋。自分で一冊一冊背表紙をみて買う。両手に抱えきれないほど包ませて、誰にも持たせない。書籍の重み、感触を楽しんでいる。これだけ読む暇をみつけてあげたいなと思ったものだ。…私は夫の書籍を選ぶときの楽しそうな、そして真剣な姿を想って、微笑ましくなるのだった。」
この睦子夫人は1917年、千葉の生まれで、昭和電工創始者である森のぶてる(矗ニ永ノミギウエニ日ガハイル)を父に持ち、兄・暁(さとる)、清、弟・美秀は衆議院議員として活躍した。1940年、三木武夫と結婚。のち半世紀にわたってその活動を支える一方、アジア婦人友好会会長、国連婦人会会長なども務めている。これはこれで、お似合いの夫婦だったのであろうと思う。       (了)

心に残る人びと

心に残る人びと