晩年のモネ

sadoji2005-10-19

3/24(日)、家族3人で佐倉の川村記念美術館へ「モネ展」を観に行った。これは平成14年の話である。8時出発の予定が9時になり、道路の混雑も予想されたが、さわやかな陽気の中、割りにスムースに目的地に着いた。11時頃だったと思う。美術館は流石に混んでおり、通常のレストランは2時間待ちとのことであきらめ、結局プレハブ小屋の仮設食堂でサンドイッチとコーヒー(妻と娘は蓮茶と銘打たれた、何のことはない紅茶)で済ませた。食堂の名前だけは“ジヴェルニー”と付いていた。レストランで1人当たり1,600円のフランス料理を考えていたので経費が半分で済んだ、と妻が言う。
さて、モネは86歳まで生きたので、晩年、白内障で眼が見えずらく、後半の20年位は自宅ジヴェルニーの池の睡蓮ばかり描いていた。しかし生前、世に出たのはオランジェリー美術館の例の円形壁画の一連の睡蓮だけで、正にこれに晩年の全精力を注ぎ込んだと思われていた。彼の没後、自宅の倉庫内に山積みされた睡蓮の連作があるのを彼の息子の友人(女性)が偶然見つけ、世に広めた。白内障の進んだ眼で、筆のタッチも荒々しく、当人に言わせれば、とても麗々しく美術館に飾るにはふさわしくないと断固拒否するであろうものまで彼の名声を受けて世界中に流れ出したと思われる。これらの作品を30点集めての「モネ展」であった。一つ目標を集中して何十年も描いていれば、独特の雰囲気が醸し出され、彼ならではの名画が並ぶ。娘は池に架かった橋を描いた絵が特に好きで、マルモッタン美術館で観た時から印象深かったとか。それも出品されていた。川村美術館所蔵の“睡蓮”も素晴らしいもので、その他アサヒビールが大作2点を所蔵し、今回展示しているのが目立った。
睡蓮の他にアイリスや藤もあったが、やはり睡蓮と水面の深い馴染んだような色合いに感動を覚える。私は病気の眼の所為でむやみに黄色がかったり茶色が入ってくる画面は好きではないが、それらも絵にかける情熱だけはヒシヒシと感じる。長生きした成果がしっかりと生かされていると思った。           (了)