修理と倹約

世は正に使い捨ての時代、粗大ゴミが山のように捨てられ、正規のゴミ捨て場もアッという間に埋まってしまう。これでは地球もたまらない。そこまで話を大きくしなくても、まだまだ使える物は大事に使って、そのものの価値をとことん生かしてやらなければ勿体ない。
身近なもので最も目立つのが、靴下を含む衣類、シーツ等のほころび、破れに対する補修が全くなされないこと。破れ目は小さい内は補修も簡単なのに放っておくとどんどん大きくなり、やがて使えなくなってしまう。ちょっとした早目の手縫いで何ら支障なく、以後まだまだその寿命を全うできるのに…と思われる事例が多い。私は気がつく度に、そっとそれらを補修することにした。ミシンまで使えればいいのにと思うこともあるが、そこまで大袈裟にしなくても、ちょっと早い内に10針、20針縫うだけで済む。簡易裁縫箱には常に針に糸を通して置いてある。先日、100円ショップで糸通し具も手に入れた。昔気質の母あたりなら「女々しいことはしないで」とすぐに替わってくれるだろうが、今や全く時代が変わったのだ。「戦後、女と靴下が強くなった」と言われて久しいが、最近はオバタリアンが我が世の春とばかりに息巻いている。家事から解放され(勝手に放棄している面もある?)、経済力もあり、自由な時間をふんだんに持てる身分、しかも肩にずっしりとくる責任もあまり負わずに済めば、あとは教養を高めつつダイエットにも励み、余生を楽しくとばかり気の合った仲間達と旅行やグルメ、観劇や買い物に忙しく立ち回れる毎日なのである。
いや、別に女性群を羨んでいるわけではない。私もちゃんと好きなことをしてストレスも溜めず長生きの道をせっせと歩んでいる。お互い老後はバラ色と言いたいが、バラバラに過ごす習慣がつきそうで心配である。二人で共に楽しむ何かが欲しい。
私はケチではない。修理と倹約について一言ふれたまでである。昨日、英語の辞書がバラバラになりかけたのを、ゴムのりを使って何とか修繕出来た。良かった。  (了)