小人と大人

「小人閑居して不善をなす」の諺がある。人間、誰しも大人たることを願っているだろうが、もって生まれた性質もこれあり、中々そうはいかない。
大人とは物事を大局的に掴み、小さな事にはくよくよせず、これと思ったことをドーンとやってしまう人である。もちろん、「あいつは大物だ」と人から一目も二目も置かれ、本人もまた、自信に満ち、堂々と振舞っている。
小人とは丁度、その反対だから、くどくどと書くまい。
超忙しい時に、皆さんも経験があると思うが、「信号が赤くなったら右左 確かめて後 堂々と行く」やり方と、「信号が赤くなったら横向いて 気休めながら青見つつ行く」のと、信号無視にも二通りの渡り方がある。
出来得れば人間、毎日をコセコセしないで、悠々と堂々と過ごしていきたいものである。
ここで私が言いたいのは、小人でも大きな事が出来るということだ。
大人、大物といえども、余程回りによく気のつく手足がついていないと、とても大仕事は出来ない。大人には、それなりの器量があって人を惹きつけ、「この人のためなら、たとえ火の中、水の中」という取り巻き連中、つまり部下、手下を常々養成しているものだ。
こうした器量なり、人徳を備えた大人でないと、「あいつは大物」といった評され方も、しばしばマイナス面で、つまり「世間一般の物差しに計りかねる変わり者」といった意味となる場合が多々ある。
さて、人からどう評されようと、大人、大物と一時的にも成れるためには、小人でも次のことを心がけ、実行していけばいいのだ。
1 人間、一生の間にでっかい事を一つは、やり遂げようという信念と目標を持つこと。
2 目標に向かって、コツコツと努力を積み重ねること。この場合、信念を曲げてはいけない。
3 ここぞ、と思う時には「清水から飛び降りる覚悟」で、それまで培ってきた実力を最大限に発揮してトコトンやり遂げること。
世の中、生まれながらの素質に恵まれた大人と、コツコツ努力型で一発勝負をかけた大人とがいることになる。一生を小人で終わってしまう人の、いかに多いことかと惜しまれる。大人になれることは幸せになることにもつながるのだ。“大人運”を掴むために努力を続けよう。                      (了)