「逝きし世の面影」

以前、櫻井よしこ氏の講演会で、是非読むように紹介された、渡辺京二著「逝きし世の面影」を買って読んだ。たまたま、今朝方テレビで、この本を紹介していたので感想文風の日記をひっくり返し、読み直してみた。
「日本人としてのルーツというか、日本民族の原点を垣間見たような気がする。
日本人はA型が多く、心配症で悲観的な見方が主流を占めているが、私はこれを読んで現代の世の中に相通ずるものも数多く、一縷の光明を見出した感がある。
江戸時代、徳川300年の太平の世の人達は何ともおだやかな明るい顔をしていた。勤勉でつつしみ深く、特に貧しい者も居ず、底辺を支える一般庶民の安定した清潔な暮らしぶりに外国の人達が皆、感心している。
現代でもそうではないか。皆、中流意識が強く、街中に繰り出す人々の顔は明るくハツラツとしている。平均寿命も世界のトップを行き、食糧事情も良く、少々就職難でデフレ傾向の不況風が吹き荒れてはいるが、戦後の混乱期に比べれば天国である。
日本人は平均的で教養も高く、仲間意識も強い方であろう。左傾の教育の所為で愛国心や奉仕の心が欠落していたが、すこしずつでもその必要性が認められつつあり、極端から極端への弊害が直りつつある。
日本人は昔から道端でよく行水をしたり、混浴であったり、人前で裸を割りに恥ずかしがらない種族らしい。その点、韓国あたりと大違いだ。色本や春画若い女性が人前で平然と見ていたと外国の人達が驚いていた。
巷にあふれるエロ本やヌード写真の現象も何も今に始まったことではないらしい。
かといって日本人が本当に淫猥ではないことは外国の人達も認めている。
ただ、子供に対する躾が西洋あたりとは全く違うことに驚いていた。
我国の親、大人は子供を全くと言っていい程叱らない。親も子供も一緒になって遊んでいる。子供は小さい頃から大人の世界に割り込み、大人もいつも分け隔てせず一緒に生活している。それでいて自然に子供から大人へと成長していくのである。
西洋のように子供を部屋に閉じ込めて、夫婦二人だけで外出等して楽しむような習慣が全くないのである。
日本では毎日がこどもの日のようだ、という論評までされていた。
この日本をこよなく愛し、誇りに思い、これからも明るく楽しく過ごせるのでは、とある意味で楽観視している。世の流れに取り残されないような気配り、努力は当然必要ではあるが…」
この日記は、4年前のものである。今では“楽観視”という言葉がひっかかる。若い人達も現在の過ごし良さは認めるが将来に夢がなく、これから良くなることはないと思っている。
彼らが何とか“夢”なり“目標”を将来に向かって持てるような社会環境にしていかなければならない。まあ世の中、そう単純ではないとだけは言えると思う。成功者は何時の時代にもいる。 (了)

逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))

逝きし世の面影 (日本近代素描 (1))